プレミアム辞書 金田一秀穂先生 特別インタビュー

シソーラスはこれからの日本人全員に必携の辞典だ[後編]

日本語シソーラス 第2版 類語検索辞典 for ATOK

金田一先生01

前回に引き続き、「日本語シソーラス」について、日本の言語学者である金田一秀穂先生にうかがった興味深いお話をお届けします。vs AI、vs 翻訳機のほか、日本語の奥深さや美しさについても語ってくれました。

シソーラスはAIにも対抗できる?

今ではすでにAIで自動的にいろんな文章ができちゃうわけですよ。でもAIでできるのはやはり紋切り型といいますか、パターン化されていて、非個性的で無機的な言葉になってしまいます。最初は便利と思うかもしれないけど、そのうちみんな飽きますよね。そうなったとき、人の手が入って、人の心が入っている文章のほうが魅力であることは確実ですから。人が書く文章を、より魅力的にするためにも、これからの時代にこそ、シソーラスのようなものが必要なのかもしれません。

AIがどこまで進歩するのかわからないけど、「やわらかさ」とか「やさしさ」とか「曖昧さ」とか、そういったニュアンスを含んだ文章はやっぱり将来も人間じゃないと書けないと信じたいですね。

翻訳でも微妙なニュアンスで齟齬が生まれる

こないだ、音声翻訳機を使って外国人に「日本の好きなところはどこですか?」って聞いたんですよ。そうすると「京都です」という答えが返ってきたんです。でも、それを聞きたかったわけじゃない。僕が聞きたかったのは「食べ物がおいしい」とか「清潔なところが好き」とか、そういうことを聞きたかったわけです。「ところ」という言葉には二つの意味があって「place(場所)」と翻訳されちゃったわけです。

人間なら状況やニュアンスによって正しく翻訳してくれるでしょうけど、音声翻訳機はそれを汲み取ってくれるところまではいかなかった。現時点では「人間の勝ち」というところですかね。

創作活動はAIにはできない

さっきお話しした翻訳については、今後もっともっと進化してさらに精度が上がるかもしれないけど、詩や俳句やエッセイ、小説など創作に関わる文章はAIには絶対にできっこない。なぜなら、それらを評価するのは人間だから。表現というレベルでいけば、どうやったってAIは人間に勝てないはずです。

先日、井上陽水さんと対談する機会があって。彼の有名な「少年時代」という曲の中に「風あざみ」という表現が出てきますが、「こんな言葉はない」とみんなに言われるらしいんです。だったら「白あざみ」とか「花あざみ」とかじゃダメなの?って言ったら「それじゃダメなんです」と。やっぱり彼の中では「風あざみ」じゃないとダメらしいんですよね。それが彼の感性であり創作活動というものなんでしょう。

先生は「日本語」や「日本語の使われ方」についてどのように感じますか?

粗雑な使い方といいますか、大雑把でありすぎるように感じます。若者を中心として語彙数が少ないわけですよ。最近では全部「かわいい」で済ませるし、僕らの時代はみんな「かっこいい」で済ませたし。それで済んじゃうんですが、それでいいのかと思っちゃうわけです。「魅力的」とか「情緒がある」とか「心が動かされる」とか、そういう言葉を使ったほうが世界を丁寧に、正確に理解することができるし、言葉で正確な世界をつくることができる。言葉を豊かにすること、語彙を増やすということがとっても大切なことなんです。

「言葉」とは伝えるためにある、コミュニケーションの道具だとよく言われるけど、それだけじゃなくてもっと大切なことは「理解するための道具」であるということ。言葉をいっぱい知っているということは深く理解できるっていうことなんですよ。深く正確に理解できるということは、人にも正確に伝えられるということにつながるわけです。

言葉は解像度と似たところがあります。解像度の高いディスプレイのほうが画像を緻密に表現できます。たくさんの語彙を知っていることによって精密な表現ができるようになる。じゃ、どうしたら語彙数を増やせますか?といえば、シソーラスを使えばいいわけです。

方言も一種のシソーラス

語彙として知らないものは感じることができないわけですよ。語彙が多ければ感じることができる。方言もそうですよね。「にがる」という方言があって「腕がにがる」というのは「腕がしびれるような痛いような」状態らしいけど、共通語にないからわからないわけですよ。

「ありがとう」を山形では「おしょうしな」と言います。申し訳なくて気持ちが収まらない、ありがたい、と感じるときに使うらしいんですよ。山形の人から「おしょうしな」と言われてなんだがとても素敵だなと思いました。

自分に正直であること、言葉を正直に使うこと

以前、谷川俊太郎さんと話をしたことがあって。谷川さんの言葉ってごく普通の言葉なんですよね。みんなが使っているごく普通の言葉なのに、あの人の詩になった途端に初めて聞くような美しい言葉になって出てくるんですよ。洗濯したての言葉みたいな感じ。

ありきたりの既成の言葉なのに、それらを組み合わせることによってまったく今までないみたいな新しい表現ができちゃう。それはなんなんでしょう?って聞いてみたんです。そしたら「自分に正直であることだよ」と言われました。人ってわかっちゃうらしいんです。この人は正直にこの言葉を使っているのか、そうじゃないのかが。

谷川さん曰く、語彙は量ではなく質だと。語彙の少ない子どもだって外国人だって、つたない日本語でもすごく響く言葉をつくることができるんだと。語彙数は少ないんだけれども、僕らの心を動かすんだと。それは正直であるかどうかだとおっしゃってましたね。

でもやはり僕らの場合、質の前に量がないと太刀打ちできない。だからまずは量を増やすためにシソーラスを使うわけですよ。そして量が増えたら、その中から選択するのは人間なんです。自分なんです。自分に正直な言葉がどれなのかを見つけ出せばいいんです。

世界の言語に比べて日本語の優位性はありますか?

うーん…。たぶんないんですよ。季節を表す言葉とか雨に関する表現だとかが多いと言われますけど、全世界的にみればどうかわからないです。「忖度」とか「もったいない」とかという単語は英語にないと言うけれど、一つの単語で表すことができないだけであって、フレーズでは表せるはずです。

シソーラスは、翻訳者にいいかもしれないですね。ネットの翻訳機能や音声翻訳機よりシソーラスを使うほうが便利です。

シソーラスがなかった時代は英和辞典をよく使ったんですよ。たとえば「love」という単語を調べると「愛する」とか「好きだ」とかっていう言葉が出てくるわけじゃないですか。まさにシソーラスですよね。

日本語の優位性でひとつあるのは、漢字、カタカナ、ひらがなを使い分けることですかね。例えば謝罪の意を表すときに、同じ単語であっても「ごめんなさい」「御免なさい」「ゴメンナサイ」だと全然伝わり方が違います。そういった文字遣いの微妙さというのをシソーラスにしてもおもしろいですよね。

今回、このインタビュー仕事を受けたのは、「日本語」とか「シソーラス」という内容に興味があったというのもあるが、「金田一秀穂」という人物に興味があったことも大きかった。メディアでもよく拝見するが、実際にどんな人なのか会ってみたかったというのが本音だった。金田一先生は、メディアで見るとおり非常に気さくでチャーミングで、それでいて言語学者であるから、当然日本語に造詣が深い。井上陽水氏や谷川俊太郎氏ともつながっていてさすがに著名人だと実感した。先生のお話は非常に興味深くて説得力があり、ますます日本語やシソーラスに興味を持った。日本人として一太郎、そして日本語シソーラスを使って豊かな人間に筆者もなりたいし、これを読んでくださっているあなたもぜひなってほしいと思う。

(聞き手:内藤由美)

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